妙宣寺の縁起
円教大姉華蔵姫尊儀の
祈りを受け継ぐ六百年の歴史
日蓮宗 華蔵山 妙宣寺は、千葉県東金市家之子にある寺院で、応永24年(1417年)に建立したと伝わる、600年以上の歴史を持つお寺です。
開基は、後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりながしんのう)のご息女である円教大姉華蔵姫尊儀(けぞうひめそんぎ)。
開山は、藻原寺より派遣された東光院日顕上人(にっけんしょうにん)。
以降、妙宣寺にはおよそ600年にわたり法灯が受け継がれています。
境内には、華蔵姫尊儀の祈りの跡を伝える「御所跡地」や、霊験あらたかな仁王尊像、市指定文化財の大絵馬など多くの文化遺産が残り、地域の歴史と信仰を今に伝えています。
円教大姉華蔵姫尊儀と
“家之子”の由来
妙宣寺の歴史は、南北朝時代にまでさかのぼります。
建武二年(1335年)、護良親王が足利直義の手により鎌倉で非業の最期を遂げると、円教大姉華蔵姫尊儀は戦禍を逃れ、数名の従者とともに上総へ落ち延び、辿り着いた先が現在の東金市家之子(いえのこ)の地でした。
円教大姉華蔵姫尊儀はここで出家(落飾)し星莖尼(せいけいに)を名乗られ、興国四年(1343年)一月、現在の本堂裏山に草庵を結び、亡き父の追善菩提を祈り続けました。
この御所は当初「宮家之子御所」と呼ばれていましたが、時が経つにつれ宮が取れ、「家の子御所」と呼ばれるようになりました。
また、この地はもともと「平田方村」という名前でしたが、のちに円教大姉華蔵姫尊儀の祈りの地として「家の子村」に改められました。
その後、円教大姉華蔵姫尊儀は深い悲しみを抱えながらも、従ってきた武士や地域の人々に支えられ14年間を過ごされ、正平十二年(1357年)七月、姫はこの地で静かに生涯を終えられました。
亡くなられた後、姫には法号として「円教大姉」が贈られ、館趾東方山頂(現成東町姫島)に葬られ、のちに姫塚として敬われています。
当山開基
円教大姉華蔵姫尊儀木造
尼御所から「海岸寺」へ
円教大姉華蔵姫尊儀の草庵である「家の子御所」は、姫の没後も受け継がれ、尼御所として代々尼僧により守られていきましたが、第三世・永海大姉の時代に転機が訪れます。
茂原藻原寺から派遣された東光院日顕上人の教化を受け、尼御所は日蓮宗に寄進され、「華蔵山海岸寺」として寺号が公称されることとなり、日蓮宗の尼寺として歴史が続いていきます。
妙宣寺としての創建
海岸寺は第十世・貞円大姉の時代まで尼寺として継承されましたが、貞円大姉が亡くなると、ついに尼寺としての歴史は幕を閉じ、応永24年(1417年)、東光院日顕上人を開山、円教大姉華蔵姫尊儀を開基として、改めて「日蓮宗 華蔵山妙宣寺」が建立されました。
寺は御朱印三万六千六百石の広大な土地を所有し、地域の中心的な寺院として繁栄しましたが、正長元年(1428年)と弘化四年(1847年)の二度の大火に見舞われ、七堂や重宝、文献等を焼失し総門のみを残し、檀信徒の協力により復興を遂げ、現在に至ります。
御所跡地と
円教大姉華蔵姫尊儀
ゆかりの地
妙宣寺の本堂裏山には、円教大姉華蔵姫尊儀が祈りを捧げた「御所跡地」があります。
令和6年6月21日には、開眼入魂式が執り行われ、円教大姉華蔵姫尊儀の魂魄がこの地にとどめられました。
御所跡地は、どなたでも自由に参拝できる場所となっております。
ぜひ皆様も訪れ、円教大姉華蔵姫尊儀の思いを感じてみてください。
当山開基華蔵姫尊儀の御所跡地
妙宣寺周辺には、今も円教大姉華蔵姫尊儀に由来する地名や痕跡が多く残っています。
・城下谷(ねごや)
・御所下(ごしょした)
・御手洗(みたらし)
・鎌倉道(かまくらみち)
・お華道(おはなみち)
これらの地名は、円教大姉華蔵姫尊儀が過ごした場所やその周辺を記録したもので、今も多くの人々が足跡をたどっています。
妙宣寺に至る道のりは、直角に曲がる道が多く、古い城下町の路地のような風情を感じさせることができます。
また、姫の従者としてこの地に土着したとされる佐藤・高科・岩崎の姓を持つ家々も今に続き、地域には円教大姉華蔵姫尊儀の足跡が色濃く息づいています。
妙宣寺の仁王尊と文化財
仁王尊 — 護良親王の守護神
妙宣寺に祀られる仁王尊は、護良親王の守護神であったといわれ、また円教大姉華蔵姫尊儀は、父の菩提を弔うためにこの地に仁王尊を祀り、深い信仰心で守り続けました。
その霊験は今も篤く、家業繁昌・悪病退散(皮膚病・眼病に効能あり)の御利益で信仰を集めています。
妙宣寺を訪れる際には、仁王尊の霊験を感じ、その強力な守護を祈願してみてください。
寺宝 — 華蔵姫尊儀の遺愛の短刀
円教大姉華蔵姫尊儀が大切にしていた短刀は、妙宣寺の貴重な寺宝です。
短刀には、刀匠「波平行安」と嘉歴四年(1329年)十月十五日の刻印があります。
短刀の古い鞘には、「二品尊雲法珮」という名前が記されており、尊雲法親王(護良親王の還俗前の名)のかたみとして円教大姉華蔵姫尊儀に伝えられたものとされています。
親王の思いを受け継ぎ、大切に保管されてきたこの短刀は、妙宣寺にとっても非常に重要な文化財です。
市指定文化財 — 大絵馬一面
(おおえまいちめん)
妙宣寺には大絵馬が二点(「源頼政 鵺退治図」と「平忠盛と油法師図」)ある。
両図とも縦126cm ✕ 横165cmで作者や奉納者は不明ではあるが、典型的な武者絵図である。
市指定文化財の(平忠盛と油法師図)は、平安末期の京都祇園社での出来事を画題としたものである。
白川法皇の信頼厚く、近侍として仕えた平忠盛が、夕闇迫る雨の中、麦藁を束ねて笠の代わりにかぶり、油壷と松明を携え境内の灯篭に油を注いでいた老法師(坊主)を、鬼と間違えて捕らえる場面を描いたものである。
東金市教育委員会指定第32号 昭和63年6月23日