尼御所家之子仁王尊 日蓮宗華藏山妙宣寺は、1417年建立

円教大姉華蔵姫尊儀

円教大姉華蔵姫尊儀に
ついて

円教大姉華蔵姫尊儀

当山開基 円教大姉華蔵姫尊儀木造

当山は日蓮宗華藏山妙宣寺と称し、1417年建立。
円教大姉華蔵姫を開基とし、東光院日顯上人を開山と仰ぎます。

  • そもそも華蔵姫は後醍醐天皇王子護良親王のご息女であり、建武二年七月に護良親王が足利直義のために鎌倉にて殺されると、姫は戦禍を避け、数名の武士に守られ、難を逃れて上総家之子に来られて落飾院政栖されたのであります。そして興国四年一月(西暦1343年)現妙宣寺裏山に草庵を結構市、父宮の追善菩提を祈られました。この御所を「宮家之子御所」と称し、次第に「家の子御所」と呼ばれるに至りました。その時以来旧名平田方村を家の子村と改称したのであります。そのあと姫は悲愁を胸に秘めつつも、同行の武士や里人達にかしづかれ、草深いこの地の自然を友に過ごされること十四年、正平十二年七月薄幸の御生涯をこの地に終えられました。法号を円教大姉とおくりなして、館趾東方山頂(現成東町姫島)に葬られ、それよりのち姫塚と呼ばれて崇められたのであります。

  • 御所はその後九代の二層によって継承されましたが、第三世永海大姉の時、茂原藻原寺派遣の布教僧東光院日顕上人の教化によりその御所を寄進し、寺を建立しました。顕師は姫を開基とし、華藏山妙宣寺と山号し、かくて当山は開山創建されたのであります。時に応永二十四年(西暦1417年)でありました。往時は御朱印三万六千六百石を有する巨刹といわれましたが、弘化四年に家の子の大火に遭い、七堂ことごとく焼失し、現在の堂宇はその後再建されたものであります。

  • 寺宝華蔵姫遺愛の短刀
    古い鞘書には二品尊雲法珮とあったといわれ、刻銘は波平行安、嘉歴四年十月十五日とある。護良親王がおびられたかたみとして、姫宮に伝えられたものと思われる。

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